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- Ungjin, also known as Gomanaru (Hangul: 고마나루, literally "bear port") is a former city on the Korean Peninsula. It was located in modern-day Gongju, South Chungcheong province, South Korea. It was the capital of Baekje from AD 475 to 538, during a period when Baekje was under threat from Goguryeo, the previous capital of Wiryeseong (modern-day Seoul) having been overrun. In 538, King Seong moved the capital to Sabi (in modern-day Buyeo County). Ungjin is now known as Gongju. Notable historical places of Ungjin Baekje are and Tomb of King Muryeong. (en)
- ( 기업에 대해서는 웅진 (기업) 문서를 참고하십시오.) 웅진(熊津)은 고마나루(固麻那羅▽) 또는 고마나리(固麻那利)로도 불리며 475년부터 538년까지 백제의 수도였다. 백제의 개국왕 온조는 기원전 18년 하남 위례성에 첫 번째 도읍을 정했지만 고구려 장수왕에게 함락되고 백제의 개로왕은 전사하였다. 기원후 475년 개로왕의 아들 문주왕 때 웅진으로 천도하였다. 성왕은 기원후 538년 수도를 다시 사비로 옮겼다. (ko)
- 熊津(ゆうしん・웅진・ウンジン)は、古代朝鮮の百済の古都であり、万葉仮名では久麻那利(くまなり・こむなり)、百済語では固麻那羅(コマナル・고마나루)と表記・呼称される。熊川(錦江)のほとりの都市であり、現在の忠清南道公州市にあたる。 475年に高句麗の長寿王が百済の国都・漢城(現在のソウル特別市)を陥落させ、百済の蓋鹵王を処刑すると、南方に逃れていた(あるいは新羅に救援を求めに行っていた)文周王が即位し、首都を熊津に移した。後に聖王が538年に、さらに南方の泗沘(現在の忠清南道扶余郡)へ遷都するまでの63年間、百済の首都であった。新羅の統一の後、熊川州→熊州という名称を経て、高麗時代に公州に改称された。詳細は「公州市#歴史」を参照。現在も公州市には熊津洞という地名が残る。 百済の熊津への遷都の記事は以下の史料で確認できる。
* 『三国史記』百済本紀・文周王即位年(475年)10月条。
* 『三国遺事』王暦・文周王条には、「移都熊川」とある。
* 『日本書紀』雄略天皇21年(477年)春3月条に「天皇聞。百済為高麗所破、以久麻那利賜汶洲王、救興其国」とある。 日本語の「つ」は「津」、ひらがな・カタカナの「つ」「ツ」の原型は「川」であるといわれているが、日本書紀では「ツ」ではなく「ナリ」と読んでおり、「津」「川」が「つ」と読む根拠にはならない。 (ja)
- 熊津(웅진)是百济中期的首都名字,它的位置在今天韓國公州市,位於首都首爾以南150公里。百濟語发音为古莫那羅(곰나루),韩语中곰意为熊,나루意为渡口。 475年,高句麗长寿王南扩占领百济旧都慰禮城(今首尔)。同年冬季,百济文周王迁都熊津。西元538年,百濟聖王將都城自熊津(今公州市)遷移至泗沘。660年 唐朝灭亡百济,并在百济故地建立设置了5个都督府:“熊津、马韩、东明、金涟、德安五都督府”,纳入唐王朝直接管理。但随着后来的百济复国运动,唐朝在665年把五个都督府统一合并为熊津都督府。罗唐战争后,唐朝最终退出朝鲜半岛。熊津被统一新罗并入版图之中,新罗在熊津州設置都督府。757年,改称熊川。高麗時改称公州。詳见「公州市」。 (zh)
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- Ungjin, also known as Gomanaru (Hangul: 고마나루, literally "bear port") is a former city on the Korean Peninsula. It was located in modern-day Gongju, South Chungcheong province, South Korea. It was the capital of Baekje from AD 475 to 538, during a period when Baekje was under threat from Goguryeo, the previous capital of Wiryeseong (modern-day Seoul) having been overrun. In 538, King Seong moved the capital to Sabi (in modern-day Buyeo County). Ungjin is now known as Gongju. Notable historical places of Ungjin Baekje are and Tomb of King Muryeong. (en)
- ( 기업에 대해서는 웅진 (기업) 문서를 참고하십시오.) 웅진(熊津)은 고마나루(固麻那羅▽) 또는 고마나리(固麻那利)로도 불리며 475년부터 538년까지 백제의 수도였다. 백제의 개국왕 온조는 기원전 18년 하남 위례성에 첫 번째 도읍을 정했지만 고구려 장수왕에게 함락되고 백제의 개로왕은 전사하였다. 기원후 475년 개로왕의 아들 문주왕 때 웅진으로 천도하였다. 성왕은 기원후 538년 수도를 다시 사비로 옮겼다. (ko)
- 熊津(ゆうしん・웅진・ウンジン)は、古代朝鮮の百済の古都であり、万葉仮名では久麻那利(くまなり・こむなり)、百済語では固麻那羅(コマナル・고마나루)と表記・呼称される。熊川(錦江)のほとりの都市であり、現在の忠清南道公州市にあたる。 475年に高句麗の長寿王が百済の国都・漢城(現在のソウル特別市)を陥落させ、百済の蓋鹵王を処刑すると、南方に逃れていた(あるいは新羅に救援を求めに行っていた)文周王が即位し、首都を熊津に移した。後に聖王が538年に、さらに南方の泗沘(現在の忠清南道扶余郡)へ遷都するまでの63年間、百済の首都であった。新羅の統一の後、熊川州→熊州という名称を経て、高麗時代に公州に改称された。詳細は「公州市#歴史」を参照。現在も公州市には熊津洞という地名が残る。 百済の熊津への遷都の記事は以下の史料で確認できる。
* 『三国史記』百済本紀・文周王即位年(475年)10月条。
* 『三国遺事』王暦・文周王条には、「移都熊川」とある。
* 『日本書紀』雄略天皇21年(477年)春3月条に「天皇聞。百済為高麗所破、以久麻那利賜汶洲王、救興其国」とある。 日本語の「つ」は「津」、ひらがな・カタカナの「つ」「ツ」の原型は「川」であるといわれているが、日本書紀では「ツ」ではなく「ナリ」と読んでおり、「津」「川」が「つ」と読む根拠にはならない。 (ja)
- 熊津(웅진)是百济中期的首都名字,它的位置在今天韓國公州市,位於首都首爾以南150公里。百濟語发音为古莫那羅(곰나루),韩语中곰意为熊,나루意为渡口。 475年,高句麗长寿王南扩占领百济旧都慰禮城(今首尔)。同年冬季,百济文周王迁都熊津。西元538年,百濟聖王將都城自熊津(今公州市)遷移至泗沘。660年 唐朝灭亡百济,并在百济故地建立设置了5个都督府:“熊津、马韩、东明、金涟、德安五都督府”,纳入唐王朝直接管理。但随着后来的百济复国运动,唐朝在665年把五个都督府统一合并为熊津都督府。罗唐战争后,唐朝最终退出朝鲜半岛。熊津被统一新罗并入版图之中,新罗在熊津州設置都督府。757年,改称熊川。高麗時改称公州。詳见「公州市」。 (zh)
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- 熊津 (ja)
- 웅진 (ko)
- Ungjin (en)
- 熊津 (zh)
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